絵を描き続ける人生

よく『いつ頃から描き始めたの?』と聞かれることが多いけど、幼い頃すぎてあんまり覚えていない。
既に変態思考に突入した幼少時代
姉妹でよくお絵描きをしていたのが始まりで、姉の色の塗り方が上手くて悔しかったこと、テニスをしてる女の子のパンツを覗いてる人の絵を描いたことを何故か鮮明に覚えてる。(変態
何歳だったんだろうなあ
幼い頃引っ越しばかりしてたので出来事は場所で覚えてて、その時3歳ぐらいな気がするけど3歳でパンツ覗いてる絵描くかね?記憶違いだと思うけど今となってはナゾです。
根暗な暗黒時代
そのあとは幼稚園。家庭の事情で私だけ親戚の家で暮らしていて心が荒れていた時期。
家族と離れて暮らしているストレスだったのか、幼稚園では周りとコミニュケーションをとらない子だったと思う。
自由な時間は独りでずっと絵を描いていた。覚えてるのが画用紙いっぱいに描いた外人の女の子の顔。おままごとの場所が空いた時だけ独りおままごとして、火垂るの墓をテレビの前で正座して観て号泣したり、母親が来れない運動会は始終涙目で、母親が会いに来て帰った後荒れて小さな商店で商品壊したりしてた暗黒の時代。
あまり物言わぬ子だったし、感受性が強くて感情は絵にぶつけてた。今もそんなところがあるけど。
何も考えていないポジティブ時代
小学生の時は逆転して本当に騒がしい子供だった。とあることがきっかけでいきなり性格が変わってしまったんだけどそれはまた後日書く。
絵を描くのもみんなが笑ってくれる変な絵を一生懸命描いて、陰でコソコソと可愛い女の子の絵を描いてた。それを見られた時の屈辱は今でも忘れないK太郎お前だこの野郎この恨みはらs(略
当時流行ってた漫画の模写とか異常にしてた。あと将棋と百人一首、囲碁も流行ってた(老人か
このころはただのクソガキだった。
絵に夢中になったクリエイティブ時代
中学に入りとびきり絵の上手いやつらが3人いた。
いつも刺激を受けていてみんな仲良しだった。特に仲良しだった『よしを』こいつとは一緒に漫画描いたり交換日記したり、便箋を作ってその当時あまり知られてないコミケに参加したり。便箋を刷るのにも夜遅くまでよしをと相談してた。
田舎の純粋な中学生にとってコミケは・・ミュージアムみたいな感覚・・・とでも言いましょうか。
絵がうまい人達がひしめき合ってて見て回るのが本当に楽しかった。
安いやりとりで実感もなかったけど、今思えばこれが初めて『絵を売る』ということをした瞬間だった。
売り上げとかは損得の感情さえなかった為か全然覚えてないけど、自分の描いた絵が売れることを知った日。
描きたい絵の志向が変わるという革命が勃発
その後はよしをと同じ高校へ行きその間も交換漫画描いてたり学校帰りに文房具屋さんに寄ってペンとかトーンとかバイトしたお金でよく買いあさってた。
文集とかには必ず絵を載せてもらってたし、文化祭ではポスターなんか描いてた。
一週間ぐらい学校を休んでた時があって、よしをがその時に貸してくれた絵本がある。
エロール・ル・カイン『おどる12人のおひめさま』
当時の私はベッドの上で暇を持て余していたのでこの素敵な絵本を模写することにした。
結構うまい模写だった自分で言うけど。
田舎に帰れば確か保管してるはずなので後ほど載せる。
この模写をきっかけに、漫画じゃなく一枚の絵に力を入れて描きたい、つまり画家になりたいと初めて思った。
急に何もしなくなったしょうもない時代
卒業後、家庭の事情で私はそのまま地元で働いていたけれど、よしをは絵の専門学校へ行った。
机に向かわなくなったせいか、私は一度ここで絵を描くことを止める。実際には描いてたけど日記だったりそんな程度。
職場でみんなの似顔絵描いたり『ちょっと絵のうまいヤツ』みたいな位置。いるいる。
感受性だけは異常にひん曲がってた。若い証拠。
この後また絵を描くきっかけをくれた女性に会う。続くよ
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エンドウシノブ
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