絵を描き続ける人生 続き

前の続き
絵を描くことを一時的に止めてしまった時期でも、地元の小さな画廊で開催される個展にはよく通ってた。
地元のアーティストや絵が好きな人たちが集まってくるので個展を見ながら雑談したり、絵の見方なんかの持論を話し合ったり、オープニングパーティーでワイワイと仲良くなったり、田舎なので年齢層が高い友達がたくさん増えたけどとにかく若かった私にとっては刺激のある画廊だった。
また絵を描き始めたクリエイティブ時代再来
そこで出会った40代くらいの女性。石川さん。
石川さんは近くで開かれている油彩教室に毎週水曜日に通っていた。
話をするうちに油彩教室を開いているのが私の中学校時代の恩師だということがわかり、懐かしさと挨拶したいのと石川さんに誘われたこともあり早速遊びに行くことにした。
当時6年ぶりくらいの恩師は時が止まったかのように全く変わっておらず、宇宙人みたいな恩師だったけど本当に宇宙人なんだと思う。
ちょうどその教室はその年開校30周年だったらしく、記念の展示会開くからあんたも参加しなさい、とあれよあれよと言う間に色々決まり、当時20歳だった私はここで『絵をキャンバスに描く』デビューした。結構遅い。
これ。
ウワー懐かしい。荒くて下手くそだけどこれはこれで味があって好き。
油絵教室に通ってるのにずっとアクリル絵の具でしか描いてなかった私。昔から変なこだわりがあって、本当に納得しないと、と言うより面白味を感じないと切り替えをしないタチである。油絵は全然乾かないから当時の私には面白くなかった。
そんなこんなで油絵教室にはあまり通わなくなり、展示会の時だけ参加して一緒に展示してもらうことが多くなった。
年齢層が高い展示会場では桜の風景、紅葉の美しい街並み、散歩をする人、のような絵が多く20歳のクレイジーで個性的な絵は飛び抜けて浮いてた。もうどこにデータあるのかわからないけどクレイジーな絵ばっかり描いてた。
キャンバスに描く絵の面白さを知った私はこの頃からまた絵を描き始めるようになる。
そんなこんなで作品が増えるようになり、地元の画廊でも『個展やらないか』と誘われるようになっていく。
誘われることに有頂天になってた私だったけれど、当時はバイクなんかにもお金かけていて個展費用が高いことから(田舎なので今思えばかなり安い)話は流してた。機会が来たらやろうとしか考えていなかった。
保険金個展事件
そんなんで23歳の頃。
仕事中(営業やってた)車を後ろからぶつけられる。ちなみに救急車初体験はこの時。
自分に怪我はないし車直してもらえれば問題ない(停止中だったので10/0)かと思ってたけど、色々とアドバイスをもらい自分の任意保険からもお見舞金が下りるとかおいしい話聞いてちょっとだけ病院に通った。
最終的にいくら下りたのか定かではないけれど『あ、これで個展しよう』と決めたのが私の個展のきっかけである(しょぼい
個展の話はまた別に書く。
再び絵を描くきっかけをくれた石川さん。
ただ『教室に来てみたら?』と言われただけなんだけど、それがなかったら今の自分はなかったなあと思うことがよくある。
それだけじゃなく絵に関して迷うこと、将来の不安なんかをオチャしながら石川さんと話してたりすると『やってみてから考えたら』と当たり前のことを言ってくるんだけど、なぜかその言葉になんども支えられた。
なんだろう、不思議な魅力のある人。あとお菓子作りの天才だ。いつもうまい茶菓子を戴いてた。
いま私は海外放浪中なのでだいぶ会ってないけれど、日本に帰ったら会いに行きたいな。
人生いろんなことが起きる
人間だからいくら絵を描くことが好きでも、嫌になったりスランプに陥ったり別のことに夢中になって絵から離れる時期もあるもんだ。恋だの仕事だの趣味だの、人生には自分を輝かせてくれることがたくさん転がってる。
それでも少し絵に関わってアンテナを張っていればまた軌道修正できる。
絵を描き続けて努力することもすごく大事なことだけれど、いろんな世界を見て悩んで苦しんで楽しんで生きていた方が絵に込める『意味』も豊かになる。
絵に込める意味というのは本当に重要。(時々そうでもないけど)意味がある絵とない絵では価値が全く変わってくる。
重要なことなのでまた別に書きます。
今日のNZは雨なので宿で待機。絵描くかねえ。
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