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【ニュージーランド・スクーターの旅】最悪で最高だった1日

 
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ニューヨークで個展を開いたり、グラフィックデザインを勉強したり、日本をバイクで放浪したり、スクーターでニュージーランド一周したり、バスキング(路上パフォーマンス)するために現在オーストラリア・メルボルンに在住しているやりたい放題の画家エンドウシノブです。 独学で絵を描き続けてたくさんの経験をしているので海外のアートを絡めてシェアしています。

ニュージーランド、スクーターでの6ヶ月11000キロの旅。ちなみにスクーター旅のギネス記録は14000キロらしい。惜しかったな・・

 

 

道中はいろんな出来事があった。

その中でも最低と最高を同時に味わったとある日の話。私はこの日、5人の素敵な人たちに巡り合ったのだ。

 

 

1人目:自転車旅のポール

 

ニュージーランドの出発地オークランドを出て約1週間たった頃、オポノニと呼ばれる場所まで進んでいた。

その日キャンプ場で出会ったドイツ人のオジサマ・ポールとニュージーで初のフィッシュアンドチップスを食べに出かけた。

 

 

 

 

ポールは自転車で旅をしている、ニュージーの旅の中で何度か再会してお互いを助け合った最高の友達。

トンガリロで一緒に肉を食い、ワンガヌイでクリスマスをともに過ごした。

出会ったオポノニもとても素敵な場所だった。

 

自転車より楽で車よりもっと安く楽しめるスクーターの旅をポールは褒めちぎってくれた。そしてバックパック背負いながらスクーターに乗ると危ないからといろんな対策を練ってくれた。

 

そんな素敵な出会いから旅立ったその日、この旅で最悪な日となる。

 

 

 

朝からの大雨。それでも移動しなければならない私。(この時ニュージーを3ヶ月で回りきる予定だったので毎日移動してた。)

 

ずぶ濡れになりながら、前もまともに見えない状況で進む。

と言ってもニュージーランドの天候は変わりやすいので、急に晴れたり大雨だったりを繰り返していた。

 

 

 

しばらく進んだところで工事現場が立ちふさがる。進むことはできるが砂利道なので気をつけて走らせる。

ちなみにスクーターはタイヤが小さいこともあって砂利に持っていかれやすい。本当にあっという間に持っていかれる。

 

 

そう、この時もかなりゆっくり走らせていたにも関わらず、ちょっとした砂利のこんもりした部分にアッッッッッという間に持っていかれた。

一瞬何が起きたかわからない。目の前に地面がある。すぐそばにヘコんだ愛用のカップが転がっている。速度は出ていなかったものの、砂利の上とスクーターに挟まれる形で地面に身体を強打した。

ただただ体の感覚がない。何か折れたかもしれない、スクーターが壊れたかもしれない。なんかとんでもなく嫌な予感しかなかった。

 

しばらくしてなんとか起き上がることができ、転がったスクーターをヨロヨロと起こす。工事現場の人たちが大丈夫かと集まってくる。もうなんか恥ずかしい。もう見ないで、こっちにこないで!ほっておいてえええウウウええーーーーん

 

 

徐々に痛みがやってきて、骨折は免れたことを悟った。よかった・・・もう自分の骨の頑丈さに感謝しきれない。ありがとう、私の丈夫な骨。

 

2人目:工事現場のオバちゃん

 

道端に座り、身体の感覚がちゃんと戻るまで休んでいると工事現場で働くオバサンが声をかけてきた。

オバサン『大丈夫?病院行く?』

私『大丈夫だよ、気にしないで』

オバサン『途中まで見送るから』

私『(もう少し座っていたいけど・・そして見送りの意味なんかある・・?)オッケーありがと、じゃあ行くね』

 

そんな言葉を交わしてなんとか無事だったスクーターのエンジンをかける。

身体中が痛くてヨロヨロと弱々しい私。

 

サイドミラーで確認すると後ろからドデカいトラックに乗ったさっきのオバサンがついてきてる。

ウソ・・デカいよ・・スクーターの最高速度頑張って55キロだよ・・(ニュージーは場所に寄るが50ccで55キロ出しても違反じゃない

 

ゆっくりと私の速度に合わせながらドデカいトラックがついてくる。さすがに気がひけるので一旦止まり、オバサンに『もう大丈夫』と伝えてそこで別れた。ずっと心配してくれた彼女は不安げな顔で見えなくなるまで見送ってくれた。

 

 

雨の勢いは弱まっていたけれど、お気に入りのジーンズが破けて見える膝からは結構な流血。感覚はあまりなかったけれど、とにかく傷を洗って包帯でも巻きたい。とりあえず風に当たらないように持っていたマスクをジーンズの穴に突っ込んだ。

 

薬屋さんを探すがニュージーの田舎ではそんなものはなかなか見つからない。

30分その状態で走っていて、ようやく一軒の薬屋さんを見つける。

 

3人目:薬屋のポーラ

 

50代ぐらいのオバサンがレジにつまらなそうに立っている。感じ悪そうだなあと思いながら、ボロボロの格好で膝を見せながら『スクーターから落ちたんだけど何か薬ある?』と聞いた。

 

感じ悪そうなオバサンは『こっちにきて。ジーンズ脱いで』といい、どこかに電話をかけた。

すぐに男の人がやってきて傷をマジマジと診る。

『オッケー、縫うほどでもないから大丈夫。石も入ってなさそうだから消毒して薬塗りなさい』

と言ってサッと帰って行った。

 

オバサン『彼はお医者さんよ、病院行かなくても大丈夫だから消毒と薬塗るわね』

そう言って消毒しながら『痛い?』ってずっと聞きながら優しく治療してくれた。ネームプレートには【ポーラ】と書いてあった。

最後に小さな救急袋をくれて『あなたこの後どこに行くの?』と聞いてきた。

 

私『キャンプ場を探してる。ここら辺にキャンプ場ある?』

ポーラ『(地図を見せながら)それならこのキャンプ場がおすすめよ。ちょっと遠いけどいいところよ』

私『わかった、そこ行ってみる。ありがとう。本当にありがとう』

ポーラ『もう転ばないのよ。旅を楽しんで』

 

そう言って薬屋を後にした。

 

来た道を戻るようにキャンプ場へ向かう。身体の感覚が完全に戻っていて、足を曲げることもままならないほど痛いのでスクーターにちゃんと座れない。

雨の中だいぶ走った。アレ、この道・・アレ・・もしかして・・・

 

すっ転んだ工事現場の近くまで戻っていた。

この状態で工事現場をもう一度走るのは絶対に嫌だ。早くも砂利道がトラウマになっている。

砂利道の恐ろしさでガクブルな私、しかしキャンプ場へ行く道はそこからそれたので砂利道は免れた。

 

 

どんどん雨が強くなった頃、ようやくキャンプ場についた。

ズブ濡れで服も砂利のせいでボロボロ、膝の包帯からは血が滲んでいる。寒くなると真っ青になりやすい私の顔は酷いもんだっただろう。

 

4人目:キャンプサイトのキャシー

 

そんな酷い格好でキャンプ場のレセプションのオバサンに『テントサイト空いてる?一泊』と言う。

 

オバサン『空いてるけど・・キャンプじゃなく部屋に泊りなさい。ズブ濡れだし、あら・・怪我してるのね』

私(ビンボー)『部屋は一泊いくら?』

オバサン『いいわよ、テントサイトと一緒の金額で』

私(ヒャッホーウ)『ありがとう!さっきスクーターから落ちたんだ』

オバサン『あなたスクーターで旅してるの?』

私(アホ)『そうだよ』

オバサン『なんてこと!信じらんない!』

 

そのオバサンの娘がその前日にカナダへ旅立ち、一人旅の私と重なったらしくしばらくその話で盛り上がる。

 

そんなこんなで部屋に通されてベッドに倒れこむ。

しかしズブ濡れなので起き上がって恐る恐る血が付いたジーンズを脱ぎ、乾いた服に着替える。

洗濯をしてキッチンでボーッとしていた。お腹は空いたけれど疲労と全身の痛みで作る気力がないのだ。

 

 

最後のひとり:シアトルのマイク

 

そこへオジサンがやってきてパソコンで音楽をかけ始める。

振り向いたオジサンはおもむろに私にこういった。

 

オジサン『何人のマイクを知ってる?』

私『え?マイク? 2人、いや3人・・・かな・・?』

オジサン『よし、今日はご飯を作ってやる』

私『???本当?』

オジサン『人生楽しいよなあ』

私『おう』

 

 

 

オジサンの名前はマイク。アメリカ・ワシントンから一人旅しに来てるらしい。お互いにバイクが好きで、マイクのハーレーの写真を見ながら作ってくれたパスタとサラダを食べた。

少し柔らかめのパスタはすっかり傷んでしまった私の身体に暖かさを取り戻させ、白ワインは痺れるように五臓六腑に染み渡った。

マイク『お前はワインが好きだなあ』

私『うん』

マイク『ほら、サラダも食いな。』

 

マイクが作ったナッツ入りのサラダにハマった私は、この日からしばらくナッツ入りサラダばかり食べることとなり炭水化物不足に陥るのはあとの話。

 

雨の降りしきる中二人きりでレッチリを聴きながらディナーを楽しんだ。

英語も誰よりも面白く丁寧に教えてくれた。

 

マイク『お前は勇気がある。その傷は勇気だ。だから明日の朝はコーヒーを一緒に飲もう。挽いたコーヒーをな。インスタントなんてウ○ンコだぜ』

 

 

夜ベッドに入り一人ボーッと窓の外をみながらこの日のことを考えた。

スクーターで転んで身体中痛い。しばらくは膝に気を使いながら生活するだろう。大雨でずぶ濡れで、ボロボロで、真っ青だったこの日の私。

 

でもなんて幸せな日なんだろう。出会った人たちはみんな助けてくれた。心が暖かくなった。

 

きっとこの傷跡は残る。

けどその傷を見たときにこの日の暖かさを思い出せるようになる。傷跡が残って嬉しいのはきっとこの傷だけだろう。

そんなことを考えながら久しぶりのベッドの感触を楽しんで、いつの間にか眠りについた。

 

 

 

 

朝起きると昨日の雨が嘘のように外は快晴だった。

 

身体を起こしてみると痛みは広がっていた。

傷はもちろん、肩や首、腕などがムチウチや打撲の痛み。もう1泊したかったけれど先を急いでいた私は移動を決意する。

ノロノロと服を着て朝ごはんを食べにキッチンへ。

そうだ、マイクとコーヒーを飲むんだ。

 

キッチンには誰もいなかった。私の朝はいつも早い。この頃は確か5時には目が覚めて遅くとも6時には行動していた。マイクが起きてくるのをしばらく待つ。そういえば何時にコーヒー飲むかなんて約束してなかった。

 

9時になってもマイクが現れない。チェックアウトは10時。荷物をバックパックに詰め込みはじめる。

 

ノロノロと準備をしてマイクを待つ。どこに泊まっているかもわからない。

結局マイクは起きてこなかった。

 

レセプションに鍵を返しに行き、お礼をいう。マイクのことを話すと『マイクね!彼は良い人よ!』と言っていた。おそらく長期間このキャンプ場にいるんだろう。

マイクへ手紙を書いてレセプションのキャシーに渡した。メールアドレスでも書こうとも思ったけれど、なんだかまたどこかで偶然会えたら面白いなあと思ってあえて書かないことにした。

 

いつかきっと、一緒に朝のコーヒーを飲むんだ。

 

 

 

 

たった1日の出来事だったけど鮮明に記憶に残ってる。この旅の中で悪いことが起きた後は必ず良いことが起きた。人生ってそういうもんなんだなあと、この旅を通してそう思った。

 

 

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エンドウシノブ

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